山下女学校と坂村真民先生

ブロガーは昭和40年頃、坂村昂(たかし)先生の授業を受けた
「古文」が先生の担当だった
教壇の前に立ち木綿のシャツを少し捲り本を片手に訥々と語る
爽やかな風が教室にそよいでいた・・・
先生は髪をのばし仙人のような風貌である
爾来、ブロガーは社会人となって壁にぶつかる度に「詩国」を繙いた
しんみん先生の詩魂に励まされた
  (これからだ)
みどりの風
これからだ
さえずる鳥よ
これからだ
みちくる潮よ
これからだ
もえでる葦よ
これからだ
わたしの生よ
これからだ
(大東出版社・詩集「詩国」より)
しんみん先生は朝鮮からの引き揚げ者だった
最初に四国で教鞭をとったのは、山下亀三郎翁創設の三瓶にある「第2山下実科高等女学校」、
その後、吉田高等学校(元山下女学校)、宇和島東高校などに転任し、2度目の吉田高校講師の時、ブロガーはしんみん先生の授業を受けた
印象深い先生だったが、東京に就職してから国民的詩人ということを知った
作詞家・永六輔が絶賛しているというのだ
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今年1月、松山市近郊の砥部町にある「坂村真民記念館」を訪れた、ここに来ることが念願だった
館内の案内人に元教え子と言ったら驚かれ羨ましがられた
鳩壽二(92歳)の時の「念ずれば花ひらく」自筆の書があった
その詩碑は世界中にあり737碑が建てられている
帰りに「詩国の人」(水上良介著)を薦められ購入した

亀三郎翁は、母への恩顧で女学校を建てた、真民先生は「詩をつくるのは、母への恩返し」といい続けていたという。
先生と亀三郎翁の不思議な縁を「トランパー」に書いた。
つくづく世の中は人の縁だなと思う…

一句
砥部の里凛と一輪寒椿