「トランパー」出版まであと89日(浜田喜佐雄の店童時代2)

【お知らせ】
ペンネーム「宮本しげる」は単行本「トランパー」を
2016年1月15日、愛媛新聞サービスセンターより発行します

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大正7年3月、喜佐雄が神戸に着いた日は、雨が降っていて薄ら寒い日だった。
まだ朝早い待合室には、三十人程の客が居た。まだ早いと思ったが、信玄袋を肩にネーブルを左手に持ち、栄町二丁目の山下汽船本社を目指して待合室を出た。待合所を出ると車屋がきて、乗れとすすめる。「いや自分は車には乗れぬ」と答える。これから小僧となって働く身が、車に乗るなどもってのほか、しかし車屋は山下汽船までなら五銭でよいと中々しつこいが、乗らないと頑張る。車夫は付いて離れない、雨はしとしとと降る、ネーブルの籠を持つ手は千切れるように痛い。ついに車屋にかぶとを脱いで信玄袋とネーブルの籠をのせた。車夫は少年にも乗れとすすめる。「いや僕は乗れない荷物だけ頼む」、「あんたが乗るも乗らぬも車代は同じこと、雨も降って居ることだし濡れて歩くことはない是非乗れ」というのを断り、車と並んで歩いた…。
 田舎者の喜佐雄は、都会の生活に戸惑うことばかりだった。「当時、湯は瓦斯で沸かしていた、私は始めてのことでなにもわからず栓をひねってマッチで火をつけた途端、ボーンと一瞬に点火してしまった。私はその時の驚き様は大変なものであぜんとして立ったままの姿でした。また便所が水洗であった、今まで私は用便後、自分の残骸を見たことが無かったが、はてどうしたらよいものか? と見渡すと鎖が下っていたので思い切り引くとゴーッと音がして勢いよく水が出て、残骸を押し流して綺麗になった。私はしめた!と思ったが水が止まらぬではないか、私は鎖を左右に引いたりして見たが止まらない、二、三度出たり入ったりして困っていると水は自然に止った。人に聞いたりすると全く田舎者がと言われ笑われる所でした」と、喜佐雄は(私の歩んだ道)と題しエッセイに書いている。

一句
ネーブルを持つ手に小雨神戸港