『欧米独断』の序

「欧米独断」は昭和3年出版された
清家吉次郎は昭和2年1月17日から9月1日までの8か月間、アメリカ、ヨーロッパを
駆け巡り、その旅行記を1冊の本に認めたのである
冒頭に20世紀前半のフランス文壇の巨匠で外交官でもあるポール・クロウデル大使が吉次郎に寄せた詩が掲載されている


(出所:国立国会図書館デジタルコレクション)
吉次郎は、クロウデル氏が在日大使の任を免ぜられアメリカ経由で本国フランスへ帰国中の船中で意気投合し、詩やサインを交換し合って友好を深めた

「欧米独断」の序に、吉次郎は大正14年元旦、欧米自治政治視察員の第2回派遣を期して還暦の歌をしたためた
   めぐり来し丙の寅に跨りて千里の坂もこえんとぞ思ふ

しかし事情が変わりこの年の視察は中止となり、昭和元年になって翌昭和2年にはいよいよ5人を派遣することになった
だが、中々全員の足並みが揃わない、一人欠けまた一人と、とうとう吉次郎一人となったが一人でも独行することを決意した
序には「幸いに岡本景光君(三間村・前県会議員)が同行することになり長途の旅行を全うするを得たり、この大旅行に先輩の村井保固君と同胞以上の親友山下亀三郎君が旅費を寄與せられ、友人諸君がこれを伝え聞き餞別が千余人に至った」と記している
吉次郎は(生涯清貧を分として敢えて利を求めず)これが天職と自認していた