アイクと呼ばれた男 18 偉才亀三郎逝く

 山下亀三郎は新橋の料亭「金田中」や「新喜楽」で政財界、軍部の要人を呼んでモテナシタ。河豚会では2回に分けて接待した。河豚に奇麗処に、惜しみなく金を散じた。田中正之輔も呼ばれて元ボスと珍芸を披露した。浜田は小唄、長唄謡曲など何でもこなしたが、流石に大会社のトップばかりの席には呼ばれなかった。しかし戦時の重要案件では行政査察使の亀三郎に呼ばれ、各港湾の整備に汗を流した。 

 田中が須磨邸で臥せっていた時、亀三郎翁の使者から、菊花紋章入りの紙巻煙草50本缶入り6個と色紙が届けられた。脱仙の筆で「墓まゐりついあすになりあすになり」の一句が書かれていた。田中は月城画伯に「無花果と山吹」を色紙に書かせ、自らの「香煙一如 華乎實乎」を書き添えて使者に持たせた。
 12月13日家人を大磯に使わせると、翁は最前、亡くなったという。
 己んぬるかな!
 最後に曽ての日神戸で、翁としてはその最も思い出深き諏訪山荘から、正之輔に墓参りの催促句を以て、その絶筆を贈らる。何としても宿世の因縁と言わねばならぬ。  

亀三郎翁の絶筆  出典:『大道』