がいな男  (15)  高輪の長者

 ~船成金たちのがいな話~

 内田信也は須磨御殿に300万円を投じた。増築する際、いなば山から土砂を馬車で運ばせた。ある馬車曳きは北口から馬車を曳き入れ土砂を荷下ろしせず、そのまま南口から出た。再び北口から入って駄賃をごまかした。しかし監督に見つかって内田に処置を仰いだところ「俺は今、一日に2万も3万も儲けている。たかが馬車一台に1円か1円50銭、捨ておけ、捨ておけ」と答えたという。

 ある日、4,5人の海運人が示し合せてイチゲンの料亭に乗り込んだ。十数名の芸者を呼び大散財をやった。芸者には身元は喋るなと厳命していた。帰る段になって「女将に済まぬが誰も金を持っていないので、勘定は明日届ける。まあこれでも置いておこう」と足袋を脱いで去っていった。あとで女将は女中に知り合いかと聞くと「女将さんのご贔屓だとばかり思っていました」ということで大いにあわてた。
だが、置いていった足袋を手に取ってさらにビックリ「ごらんよ、足袋のこはぜが金無垢だよ……」

 とにかく船屋の勢いはがいなもので、社員でも100か月のボーナスをもらった。
某課長は帰宅すると麻の和服に着替え、羅紗の羽織袴にステッキ棒を持ち、パナマ帽といういで立ちで花隈のお茶屋に乗り付けた。当時の課長は山下汽船で27歳位だった。

内航海運新聞 2022/5/16