がいな男 (8)日露戦争

 がいな男は、自伝『沈みつ浮きつ』の(船を持った動機)の項で、一世一代の英断を語っている。

ーー門司にいた亀三郎は、東京からの至急電報で喜佐方丸に御用船の命令が下ったことを知った。

しかし船は、石炭を積んで上海に向けて出航の寸前だった。このまま上海で石炭を揚げて帰ったら(喜佐方丸は要らん)と言われたらそのままである。

〝ここは英断だ″と「この三井の石炭を何処へでも引き摺り上げて、海軍の御用に応ずるのが一番だ。国家の御用に対し三井などグズグズ言はさぬ……」と船を横浜に廻航せよと命じた。

その後、門司の宿を発って海軍に船を渡すまでの3,4昼夜の間は全く無我夢中で、

「何処をどうして歩いたか、更に分からなかった」と、後々(昭和15年8月)口述している。

 

2022/3/21 内航海運新聞

 

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