「トランパーの雄」出版まであと114日(明治が終わる)

明治42年(1909)伊藤博文満州ハルビンで暗殺される。翌43年韓国を併合、44年小村寿太郎外務大臣不平等条約を改正、明治45年(1912)7月30日明治天皇崩御。御年59歳であったが幕末の動乱、近代国家の建設、日清日露の戦争などあり波乱万丈の生涯であった。
ちなみに明治天皇にゆかりのある「海の日」は明治9年明治丸灯台検分など東北巡幸から横浜に帰着したのが7月20日、記念日制定当初は「海の記念日」とされていた。その後ハッピーマンデイ政策で海の日は固定していないが、元の7月20日に戻す運動が今なされている。
(エピソード:伊藤博文と亀三郎)
亀さんが伊藤公を訪ねて京城に行った時の話。ーといっても新喜楽のおきん婆さんの後をヒョコヒョコついて行ったー
亀さんは伊藤公の好物である小鮒のひき焼き用にと、馬関(下関)で仕入れた新鮮な小鮒を桶に入れて連絡船に乗った。おきん婆さんや投資家らを連れての珍道中である。釜山に着いて汽車にトランシップ、京城へ向かった。旅館に着くやすぐ南山の官邸に行き鮒を渡した。伊藤公はおきんに「よく来たな〜」と上機嫌だったそうだ。翌日の昼飯で鮒のひき焼がでたが、おきんは「これは山下の思いつきでわざわざ下関から手桶で持ってきたんです」という、伊藤公はにやにや変な笑いを浮かべていた。実は亀さんの鮒はプーンと来ていたが、茶目っけのある伊藤公が「そんなら担いでやろう」と京城の川でとれた鮒を本席に出したそうだ。亀さん冷や汗をかいた…自伝「沈みつ浮きつ」より〜 ああ(明治は遠くなりにけり)
一句
ふく食べる博文公の春帆楼