「川の流れのように」と山春丸


この写真は昭和30年頃の古き良き時代に活躍したニューヨーク航路
に就航していたYAMASHITA LINEの「山春丸」である。(出所:山下事務所)
1950年代に流行ったジャズ「MANHATTAN」を聴きながら昔を偲ぶのもいいものだ。
マンハッタンの摩天楼をバックでイーストリバーに貨客船の航跡がのこる
かつて「トランパーの雄」と呼ばれた亡き亀三郎は何を想うのであろうか…
この黄金航路を切り開いたベンチャープリッツはどこに行ったのか。

その30年後イーストリバー畔のカフェでこのシーンを詠んだ人がいた。
〜知らず知らず歩いてきた細く長いこの道(トランパー)
 振り返れば遥か遠く古里(伊予吉田)が見える
 地図さえないそれもまた人生(トランパー)
 雨に降られてぬかるんだ道でもいつかはまた晴れる日が来るから〜(沈みつ浮きつ)
亀三郎の来し方に通ずるものがある。
 版画家・小林朝治であれば、どのように描き、またポエムを作ったのだろうか…

浜田喜佐雄が活躍した大同海運はニューヨーク航路の船を3隻建造した。
ぶるっくりん丸、まんはったん丸、りっちもんど丸である。
特にぶるっくりん丸は太平洋を高速で横断しブルーリボン賞を獲得した。
当時のNY航路は海運会社の花形で、シーマンの憧れの的だった。
マドロスが一番カッコよかったのは昭和30年代ではないだろうか。
波止場の映画が流行った頃、I裕次郎、Kアキラ、A圭一郎の時代である。
ああ、霧笛が俺を呼んでいる!〜霧の波止場に帰ってきたが〜
***
ブロガーは2,000年にNYに行った。イーストリバーを何とロープウエーで渡った。
その時の写真である。(ビデオから写真に切り取った)
アメリカの内航船だろうか、バージ(台船)をタグボート曳船)が曳航している。
何処の国でも、水深の浅い河川は内航船の出番である。

一句
深秋の摩天楼ゆくトランパー




(国連本部とエンパイアSBが見える)