「トランパー」出版まであと68日(昭和に改元)

「トランパー」のポスターを考え中
このようなことも本を創る楽しみの一つ

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さて、短い大正時代はおわり、「昭和」に元号が変わった。昭和二年、日本初の地下鉄が開通、浅草〜上野間の電車に人々は何時間も並んで順番を待った。同じ年に小田急が新宿〜小田原間に高速鉄道を走らせた。その頃、大阪商船は煙の出ない船として、日本初のディーゼル機関船を山陽航路に就航させている。
新しい時代の到来で街にはジャズが流れ、活動写真、モボ・モガの新しい風俗が生まれた。歌手藤山一郎は〝昭和モダン〟を歌に取り入れ「東京行進曲」や作曲家・古賀政男の「影を慕いて」を唄い一世を風靡した。
しかし、昭和四年十月二十四日ニューヨーク・ウォール街で株の大暴落が始まり、日本にも直ぐ影響が出て生糸の価格が三分の一に暴落、輸出量が大幅に減った。会社の倒産が相次ぎ、失業者が街にあふれ「大学を出たけれど…」が流行語になった。特に海運界は窮地に追い討ちをかけられる結果となった。この時期の我が国の係船量は三十万総トンを上回った。
金融恐慌による鈴木商店の破産は、海運界にも深刻な不安を与え、緊密な関係にあった山下汽船もその例外ではなかった。亀三郎は社員に十分な給料が払えず、書画・骨董類を売りさばいた。

一句
亀三郎今に伝えるピラカン