「トランパー」出版まであと97日(賢母の学校と勝田の美談)

【お知らせ】
「宮本しげる」の処女作「トランパー」〜伊予吉田の海運偉人伝〜は
 来年1月15日に、愛媛新聞サービスセンターより出版となります。

大正船成金の亀三郎は、吉田町と母の里、三瓶町に、惜しげもなく私財を投じ女学校を建てた。人間を作るにはまず賢き母をつくれと「優美貞淑」を教えとした。多くの公共事業等で地元に還元した莫大な金は、それはそれは想像を絶するものであった。アメリカの篤志カーネギービルゲイツか、亀三郎は「モリモリ儲けて、惜しみなく散じる」子孫のために美田を遺さず、というのが人生哲学だった。−大河でケツを洗うがごとく実に豪快で爽快な男だった、そうな−
もう一人愛媛・松山出身の成金、勝田銀次郎は、自船「陽明丸」で四歳から十八歳の孤児達約九百人を助けた。第一次世界大戦後、ロシアの大暴動を逃れサンクトペテルブルグから逃避行し、一年以上もシベリアに滞留していた子供たちである。銀次郎は貨物船を客船仕様に改造し極東のウラジオストックからパナマ運河を経由し、ほぼ地球を半周して故郷のペテログラードまで約三か月間の困難な大航海の末、ロシア難民の子供達を故郷に送り届けたのだ。
多くの成金が没落する中で三大成金は、世のため人のために社会貢献を果たした。
しかし、多くの犠牲者を出した欧州大戦により、はるか遠い国のニッポンは、重工業を発展させ、海運業がこれを支える構図となるのである。
大正年間は15年と短い歳月だったが、現代に続く産業発展の源となる礎の時代だった。
一句
母強しされど優しき雪椿