汐入り川 (哀愁の横堀)

先月、田舎に帰り実家付近を歩いた
昔、伊予吉田藩は伊達宇和島藩から3万石を分知された
武家町と町人街を横堀川という運河で分けた
吉田湾は宇和海から深い入り江で、満潮になるとボラ、サヨリなどが群れになって汐と共に上がってくる
幼い頃、橋の上でガンガリといったか?釣竿糸のさきに引っ掛ける針をつけ
群れの中に投げ込み魚を獲っていた、夜釣りでウナギ、フグ、チヌが釣れた
(Summertime, And the livin' is easy Fish are jumpin'・・)
もう55年も前のことだ
実家はなくなり横堀の店々も淘汰され幼馴染もいない
残るは魚の跳ねる音、ああ哀愁の横堀・・
同級生の井上論天が父・井上土筆の俳句を紹介している
鰻屋の暖簾が干され盆が来る
論天は、「町内横堀に老夫婦が営んでいた古い鰻屋があった。
鰻はすぐ前の潮入り川の地獄漁等で獲ったもので、評判の味であった。
作家の吉村昭氏や司馬遼太郎氏もよく訪れていたことで有名であった。」
と、自著(露のごとくに)で説明している。
駄作二句
横堀の川に戻りし秋の鐘鰡跳ねて川面に映る石灯篭