宇和島城と龍馬

先月、久々に宇和島城へ登った
(高橋紅六著書によると)
文久元年、板谷梅次郎こと坂本龍馬宇和島を訪れた
千葉道場の塾頭だったが、これは隠れ蓑
実際は土佐藩諜報機関におり剣法詮議の名目で各地を行脚していたという
宇和島には児島惟謙、土居通夫ら優れた剣客がいた
龍馬は3日の滞在中、彼らと天下国家を論じた
その後、龍馬は慶応3年に近江屋で斬殺される
(こな糞っ)の伊予弁から首謀者を突き止めた海援隊副長陸奥宗光
居合斬りの達人、土井を斬り込み先鋒に口説き落とす(フィクション)
龍馬の弔い合戦、天満屋の斬り込みである

長じて土井は鴻池の大番頭として活躍、大阪商工会議所の7代会頭となった
大阪・通天閣の通は通夫からとったもの
正に歴史は人が造り、人は歴史に翻弄される
因みに陸奥は各国との通商条約を改正し、船舶法第3条でカボタージュを確立する
今でも内航海運はこの制度を堅持している
一句
秋月に龍馬をしのび城にたつ