2018-09-05から1日間の記事一覧

吉田三傑「村井保固傳」を読む 31

天成の調和剤 色眼鏡云々で森村と大倉の間の食い違いを、村井の執り成しで治めたが、明治40年又も両雄の両立し難い形勢となった。村井はよくよく慎重に考慮されたいと切なる希望を言い残して帰米の途に上がった。果たして、翌41年森村から至急帰朝を促す電報…