沖縄「慰霊の日」

昨日は「慰霊の日」、沖縄戦・昭和20年6月23日終了
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郷里の友人「井上論天」の父親「井上土筆」(何れも俳号)は、沖縄戦の想いを俳句に詠っている。土筆氏は沖縄戦で戦車27連隊に所属していたが、九死に一生を得た。一部を紹介する。

沖縄の夢見て六月かと思ふ
遠野火や耳底ふかく軍靴の音
蚊を打ちて其の血によごる沖縄忌
沖縄忌の濤に孤独な軍歌(いくさうた)
南風原の悲風に災ゆる仏桑花
碑となる身生きて東風吹く丘に佇つ
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土筆氏は復員して30年後に慰霊のため54歳で沖縄の島を踏んだ
その時のエッセイ「仏桑花」から一部を引用する(出典:文學の森発行「露のごとく」)
前中略)首里城内には観光団が群れていた。一番先に片腕を吹き飛ばされた勝山上等兵を引摺りながら駆け抜けた石畳に佇った。香を焚いているうちに涙がとめどもなく落ちて知らぬ間に軍歌を口ずさんでいた。「曹長殿もう置いて行って下さい」と叫んだ勝山の声が仏桑花の葉かげから聞こえたようだった。観光客が不思議そうに私の顔をのぞいていた。
このようにして蘇鉄の林をわけ桑畑をくぐり水をそそぎ、香を奉げ、汗と涙の顔を晒して亡き戦友の魂を弔った。そうして岩陰に、草むらに影なき影を追い、声なき声をしたってさまよったのである。今の沖縄は本当の沖縄ではない。未だ海辺のジャングルの中には遺骨が残っているそうである。観光客に汚され、それに依って生きる沖縄に私は立腹した。沖縄繁栄の土台は、兵士と沖縄県民の血と骨で固められているはずだ。日本人なれば沖縄を今一度見直すべきである。さもなくば数十万の霊魂は、本当に亡者となって永久に浮かばれないのであろう。 昭和50年10月11日夜