東日本大震災3年

大震災から3年たった
あの時、海運ビルでは震度5はあった、だんだん揺れが強くなり
長い時間ゆれた、あれだけのゆれは初めての経験だった
交通機関がマヒ、結局ビルに泊まることになる
miltから緊急輸送の依頼が来て対応に大わらわ
津波福島原発事故も気がかりでテレビに釘付けとなった
津波に襲われた港は、瓦礫などで内航船が着岸できる状況になかった
半年後に仙台・石巻を訪ねたがまだ瓦礫の山、悲惨な姿を目の当たりにした
大手外航船社はバス貸切で数日間のボランティアを何回も繰り返した
ある内航の社長は自ら東北に足を延ばし瓦礫を片付けた・・
南三陸町の防災庁舎では女性職員が町民に繰り返し避難を呼びかけた
身の危険を顧みづ、体を張った放送で何人の命が助かったか・・・
あの庁舎を震災遺構として残し、今後も語り続けていかなければならない
あれから3年、ブログ主は何をしたのか、忸怩たるものがある
石巻市の被災地を撮る)