『欧米独断』 第一北米篇(ホノルルの一日)

吉次郎のハワイ考証は、明治14年ハワイ国王カラカウアがアメリカの進出で危機を感じ日本へやってきたことを示唆している。明治天皇にハワイアジア連合の盟主たらんことを懇願した。
娘カイウラ二王女の政略結婚も申し出た。しかし日本はこれを断り、ハワイは1898年アメリカに統合され50番目の州になった。吉次郎は昭和2年にハワイに行き、早々にその国の歴史を繙き、世界情勢、アジア、日本の状況など高い見識でものごとを書いている。近頃のルンルン旅行記とは異なものになっているが、90年前の硬派がゆく旅である。
短歌も所々に散りばめている。
  ホノルル上陸に早起きしすぎてBデッキ二号室に汗をにじませつつ

3時の早起きは私にとっては常のことで珍しくはない。最早陸地が見えはせぬかと船頭に出ると、陰暦25日の織月が眉劣刀の光を海に投げ船は月に向かって進行して居る。
吉次郎は伊予新報の為に「船中に於ける婦人観、子供観」を、ジャパンタイムスの為に「布哇と呂宋」を走り書きした。
やがて蒼皇として服装を整え甲板に出てホノルルの朝の全景を双眼鏡で見た。會遊の人が彼處は何々と指摘して左方海岸の森の彼方から遠く長く出た砂洲の左が真珠湾軍港だ、右の突き出たる山がダイヤモンドヘッドの砲臺だ…
税関史が来て船も桟橋に着いたが、それより早く布哇報知と日布時事の記者が来た。何処へ往っても新聞記者程機敏なものはない。
ダイヤモンドヘッドの砲台下を突っ走ると兵営がある。18センチ砲が無秩序に置かれ、だらしない兵隊さんが何かしておる。山をくりぬいた砲座は無論見えぬが臼砲の所在も判る。要塞の第一地帯が自由に通られるなど辻褄の合わぬところが米国流だ。一つ揶揄って遣ろうかい。
  あだなきに腰折れ峰のなどされば徒事(いたずらごと)に針を磨くか
ヌワヌバリの古戦場に着いた。両方から斧を以って劈いた(つんざいた)やうな山が峙つて一路僅かに通ずる険要で所謂一夫關に当れば萬夫も進む能はざる所だ。カメハメハ大王の布哇統一の天王山で敵兵を掴んでは崖下に投げ落とした所だと云うことだ。世界での強風地と称えられてあるが其の通りだ。太平洋から吹き付ける風が山に当り吹き返しが茲に集中するのだから不思議もないが、そんなに理屈が解かっては面白くないので矢張り神秘は發かぬが可からう。
  ますらおが猛きいぶきの今も猶のこりて已まぬ嵐なるらん