がいな男 25 渋澤栄一と論語
渋澤栄一が著した『論語と算盤』(孝らしからぬ孝)のくだりは、心学を普及させた江戸時代の中澤道二『道二翁道話』の一節を引用したもの。
——近江の有名な孝子が、信濃の国に有名な孝子がいると聞いて面会に行った。
家には老母がおるだけで、息子は山に行っていた。老母は夕方には帰るからと家に上げた。夕刻になると孝行息子が薪を背負って帰ってきた。すると息子は老母に荷を下ろしてくれ、足を洗ってくれと勝手なことを注文するが、老母は嬉しそうに倅の世話をする。息子は炉辺に座ると、今度は足を伸ばして老母に足を揉ました。老母はお客が来ていると告げると息子が奥の間にノコノコとやってきた。息子は老母に晩飯を出させ給仕をさせ、その上にやれ御汁が辛いとか、御飯の加減がどうだとか、老母に小言ばかりをいう。そこで近江の孝子は遂に見かねて「貴公の振舞いは実に意外千万、老母を労わることもなく、叱っているとは何事ぞ、貴公は親不孝の甚だしきものだ」というと、信濃の孝子は「年老いた母に、足を揉ませたりするのは、母は息子が山仕事から帰ってくると、(さぞ疲れたろう)と親切に優しくして下さるので、親切を無にせぬように、足を伸ばして揉んでもらう。また客人を饗応するに就いては、定めし不行届で息子が不満足だろうと思うて下さるものと察するから、その親切を無にせぬため、御飯や御汁の小言まで言うたりするのです。何でも自然のままに任せて、母の思い通りにして貰うところが、或いは世間に、私を孝子と言い囃して下さる所以であろうか」と答えた。
がいな男は、昔、喜佐方丸を郷里に寄せた時、母敬に(一晩船に泊まらせてくれないか)といわれたことがあったが、あの時母は、久しぶりに会う息子の労をねぎらい、身の回りの世話をしたかったのではと、渋澤の本で考えさせられた。