がいな男  (17)  山下学校の優駿

 成金のボスは事業拡大で人手が必要になり「求人材」の新聞広告を出した。「100名採用しても歩留まりは10人ほどだろう」とフルイにかける主義だった。大正6、7年には優秀な人材が集まった。帝大、高商、のインテリから尋常小学校卒まで100名ほど人材を集めた。
 ブロガーのボス・浜田喜佐雄は16歳で山下汽船に入った。神戸本社で初めて水洗トイレを使った。己の残骸を流すのに、鎖りを引くとゴーと勢いよく水が出てキレイになった。だが水が止まらず便所を出たり入ったりと右往左往したが、やっと止まって一安心。もっと驚いたのは湯沸かし、何といってもガスは初めて、栓をひねってマッチを付けるとボーンと大きな音とともに点火した。これにはビックリたまげて、暫く呆然としていた。
 石原慎太郎裕次郎のオヤジ・潔も宇和島中学を中退し、店童で入社した。大卒で入った金井久昌は姓名判断の名人で、石原兄弟の名前を付けたという。

内航海運新聞 2022/5/30