がいな男  (11) 山下汽船設立

 がいな男は、明治四十四年山下汽船合名会社を立ち上げた。海運のメッカ神戸に支店を置き海外にも進出した。大阪南地の料亭で亀さんは「黒御前」と呼ばれていた。
ある日、大阪商船の幹部を招待し裸踊りでみんなを笑わせた。
亀さんは、座が和んだところで一発えらそうに持論をぶった。
「日本は日清日露を経験したが、再び東洋では中国の内紛、欧州ではイタリアとトルコの戦争と雲行きが怪しくなってきた。いつ大きな戦争になるかわからん。遠い戦争は買いで船を増やさないといけない。それで船は古いとか新しいとかいっておれない。つまり女であれば若いとか年増とか何でもいい」
すると馴染みの芸者が、
「あら黒御前さま、私みたいな大年増でも買ってもらえるのかしら」
また、みんなはドッと笑ったが上品なお客は、
「山下さん、そんな品の悪いたとえはここではいいが、よそに行っていわんほうがいいですよ」とたしなまれて黒御前は頭を掻いた。
 がいな男は、船を増やし人材を帝国大学から採った。いよいよ山下汽船の陣容は整ったのである。

内航海運新聞 2022/4/11