がいな男 (4)夜逃げ

 

 亀三郎自伝「沈みつ浮きつ」には、(私が明治24年横浜に流れて行って云々)とあるが、長い放浪の末、横浜に舞い戻ったのは正解だった。

横浜港から出航するロンドン行きの土佐丸の雄姿を見て、船主になる夢を抱いた。

また先端産業「石炭」を扱う竹内兄弟商店に採用されたことで、ベンチャー起業する足掛かりとなった。横浜はがいな男にとってゲンのいい所となった。

 当時、横浜の料亭「富貴楼」には伊藤博文山縣有朋大隈重信大久保利通陸奥宗光など明治の元勲がよく出入りした。一般の横浜商人は住吉町の料亭「千歳」で遊んだ。渋澤栄一の従兄・喜作などもここで遊んだ。千歳の女将おこうは富貴楼の元女中で、花柳界の女傑といわれた女将のお倉に仕込まれた。

がいな男は、米国貿易商会の池田支配人に千歳へ連れていかれ、おこうに茶屋遊びを教わった。がいな男は夜の世界で横浜の豪商に顔が売れ商売につながるのである。

f:id:oogatasen:20220411215906j:plain

内航海運新聞 2022年2月21日付け 

f:id:oogatasen:20220411114538j:plain

印西 吉高の大桜 4/11