「沈みつ浮きつ」若き人の為に(5)

 夏は炎暑と闘ふべし昭和15年8月3日)

 

 亀三郎翁は、冬は熱海で寒さを避け、夏は有馬または軽井沢の避暑地で過ごした。だが、決して働き盛りの人のすることではないという、翁は年老いたこともあるが、避寒を覚え避暑を味わってから、寒暑に耐える抵抗力が非常に薄くなったと嘆いている。

 「現に、今年7月10日に軽井沢に来て以来、その中頃に5、6日間帰京して、よんどころなき用を達したが、その暑さから受ける苦痛の為に、静かにものを考え、静かに筆をとることが出来なかった。今後我々は、南方の熱度に対して大いに計画を立てなくてはならない時に於いて、壮年者は先ず熱に耐ゆるの鍛錬をする必要があると思う。それで、夏は炎暑と闘う、こう言う行き方にしなくてはなるまい」と語っている。

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 翁は、逗子、須磨、筋(郷里)、小田原、大磯、熱海、玉川、軽井沢に別荘を建てた。

 囲碁・将棋は知らず、ゴルフ、トランプにも一切興味を持たない男は、気持ちの転換を図るため別荘を転々とした。そこで気の合った人と話すのが読書の代わりになり、碁将棋の代用になると言っていた。

 下の写真は孫の山下眞一郎氏から頂いたビデオで、BS11局「経済人バイオグラフィー3枚の写真」から引用した。

 眞一郎氏が3歳の頃、軽井沢の別荘で撮ったもので、亀三郎翁はとてもやさしいお爺さんだったと語っていた。

 

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