豪雨被害の支援活動

11月12日のブログで支援活動の事を書いたが、その後朝日新聞柏支局の某記者から取材を受けた。
記事になるか分からないがダメもとでやりましょう、と熱心にその後も電話でやりとりした。
11月26日(月)に電話があり、明後日の28日朝刊に出ます!丁度散歩中だったが「今までトランパーは何冊売れましたか?」という確認だった。
「家に帰れば正確にわかるが51,2冊売れたと思う」と答え、急いで帰宅した。
初めて大きな新聞に出るのでこの影響が皆目分からないが、グッドニュースだった。
当日午前3時に目が覚め、朝刊を見ると第2千葉版に大きく載っている。夜が明けて近くのコンビニで数冊の新聞を買い、取合えずコピーを20枚。
帰りがけに同じマンションから駅に向かう住人たちにコピーを渡した。
最初に注文があったのは、9時前のfaxだった。その後は電話が鳴りやまない、というのはオーバーだがこの日は対応に追われた。
1日目で20冊の注文、1週間で50冊が出て行ったが、改めてマスコミの力に驚いた。
注文者は、山下亀三郎翁ゆかりの方、商船三井で機関長を務めていた親族など仕事関係。吉田高校卒業生で大先輩からの電話や、南予出身で豪雨被害に少しでも役に立ちたいと数冊の注文があった。やはり今度の甚大な被害が同郷人の心に残っているのでしょう。
またノンフィクション物が好きで(今の経営者に山下亀三郎翁のような人はいない、こう言う本を書いてもらい有り難う)と長電話になった方もいた。
近くに住んでいる方には、本を直にお持ちした。大洲出身の方は、実家が肱川上流にあり川面から30メートルの高さにある家が床上まで水が来たという。
その時の写真が貼付の通りでトラの置物が天井に張り付いた状態、ダムの放流で凄いことになっていたのを物語っている。
船橋の方は、実家(本町1)のとなり魚棚1丁目出身の吉田高校先輩だった。弟さんが同窓会の幹事で時々顔を見かけたが、お兄さんからのfaxだった。
お会いしていろいろ話を聞いたが、ご先祖は武家で火鉢などの家財を国安の郷などに寄附したとのこと。ここで耳寄りな話を聞いたが、従兄弟に昔の吉田町について回想録を書いた人がいるという。後日その本を借りたが、吉田まつりの牛鬼、お祭りの郷土料理など興味ある話が綴られている。今後了解を取ってこのブログにアップしたいと考えている。亀三郎翁の実家喜佐方(河内)出身の方は大阪からのfaxだった。ミカン産業の基礎インフラを創ったのは亀三郎翁で、もっと若い人に郷土の偉人を知ってもらいたいと書かれていた。
ボランティアからの注文もあった。9月に千葉に来られた方で、大分県日田市の出身、29年九州北部豪雨の時、日田市に宇和島市から救援・救護隊がやって来た。この人は一緒にボランティア活動を行った。7月の豪雨でいち早く日田市は宇和島にボランティアバスを出したが、バスに加わり吉田町でお手伝いをさせて頂いたと書いている。(今朝の朝刊を見て「トランパー 伊予吉田の海運偉人伝」を読みたい衝動に駆られました)というfaxに目頭が熱くなった。
この方は郵便振込で、代金以上の金額を払込され少しばかりの寄付にと通信欄に書かれていました。
年内のキャンペーンを締めると123冊が売れた。カンパ金も集まり、正月には田舎に「お年玉」代わりの寄付を届けることが出来る。
今年は「災」の1年だったが、人情の「厚」さを感じた1年でもあった。

肱川町の虎・大洲市某氏の写真を引用)